障害受容

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勉強

どうも、小兎です

今回は私が今勉強していることについて書いて行きたいと思います

まず、皆さんは「障害」について考えたことがありますか?

私は今病院に勤めており、様々な障害を持っている人たちが居ます

身体的な障害、精神的な障害、金銭的な障害、生活環境の障害、社会的な障害、家族の問題(障害)

これだけ見ても障害を一言で言っても様々なものがあります

そこで私が勉強しているのは「障害受容」についてです

自身の障害についてどれだけ受け止めることができるか

その障害を乗り越えて、生活していけるか

もしくは、障害そのものを受け止められるのか

とても奥の深いテーマだと思っています

というわけで本日は勉強シリーズというわけにしておきましょう

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障害受容は成されるのか

早速ですが私自身の今の段階での見解を言っておきます

障害受容は完全にはできない

というのが私の見解です

これはあくまでも私自身の考えであって正解ではありません

「完全には」ということですが、受容できる時間を持つことはできると思っています

これはどういうことか

それを話して行きたいと思います

障害受容

労働災害にあった女性会社員のイラスト(松葉杖)

それではまずどのような障害があるのでしょう

  • 一次的な障害として:疾患に由来する機能障害、能力障害など直接生じるもの
  • 二次的な障害として:家族の中に病気や障害がある者がいることによって家族関係者に生じる負担または社会的不利
  • 三次的な障害として:病気や障害がある人やその家族が住むコミュニティに生じる障害

以上のものがあります

これだけを見ても生活していく上で障害を持った方は元の障害に加えて多くの障害へと広がっていく可能性があります

これを全て受け入れるということは本当に可能なのでしょうか

障害受容に段階説には多くのものがありますが

ほとんどが

障害を持つ➡︎否認・隔離➡︎怒り➡︎取引➡︎抑うつ➡︎受容

となります

これは身体的にも精神的にも同じことが言えるでしょう

まず障害を背負ってしまった後、受け入れられずにそのこと自体を現実として認めない(否認)

その後、なぜ自分だけこのような目に合わなければならないのかと葛藤する(怒り)

そして、何か良いことをすれば何かが返ってくると思い、例えば奉仕的な活動をしてみる(取引)

それでも何も変わらないことを知り再び障害と向き合い抑うつ的になる(抑うつ)

抑うつを乗り越えることによって障害を受け入れる(受容)

というわけですが、本当にそう上手くいくでしょうか

それは理想というより治療や支援にあたる者の抱く希望的視点であり、そのような段階を辿ることはないと私は思っています

この否認や抑うつ等が変わる変わる訪れると

そう思っています

支援者として

では障害受容はできないのか

はじめに述べたように受容できる時間を持つことはできると思っています

それを作業によって引き出すことが我々の仕事だと思っています

まずは自分だけがこのような障害に襲われたのではないということを知る

これを普遍的体験と言います

例えば集団的な治療の中で同じような障害に見舞われた方々を一緒に治療に励んだり、作業に取り組んだりすることによって、自分以外にも同じような苦しみを持つ人がいることを知ることにより少し安心できることです

そして、同じ苦しみを持つ人どうしで相手の障害を受け入れる

つまり受け入れられる体験となります

また、自分に襲ったショックや怒り、悲しみなどを共有して語り受け入れられることで悲しみと怒りを超えることも考えられます(表現、カタルシス)

同じ障害を持つ者どうしとして助け合うという愛他的体験も受容できる時間に近いと思われます

このような場を提供すること、その人たちを受け入れることが我々の役割に当たるのだと思っています

私が心がけていることは、以上のような作業の効果というものを理解すること

そして何より障害を持つ人たちを受け入れ、信頼のもてる関係性を気づけることです

この人なら心が許せる、なんでも話せる、ありのままでいれる、気取らなくてすむ、我慢しなくていいんだと思ってもらえればそれが一番だと考えています

受容の時間

皆さんも同じような思いをしたことがある人がきっといると思います

大きな悩み、不安、身体的精神的な病気を抱えた時、生活する上での問題

こういった出来事があった時に、家族、親しい友人や、優しく対応してくれた病院の先生、励ましてくれる仲間といる時に

「なんだ、これでいいのかな」

「自分の考えてたことが少し忘れられた」

「このままでも皆とやっていけるし、いいか」

「本当はとても小さな問題だったのかな」

「この人と入れるだけでも幸せなことなんだな」

等々

ふっとその障害から目をそらすことのできる瞬間ってないですか

私の考えでは、その瞬間が「受容できる時間」だと思っています

なので支援者としてはそう思ってもらえる存在になることが目標になると思います

まとめ

つまり障害受容に完全はない

しかし、できる時間もあるため未完成ではある

未完成ではあるが、受容の時間はある

その時間をどこかで持てる環境を整える

それが今の段階で出た私の結論であります

もちろん受容の時間の後に、また一人で障害と向き合う時間が来ると思います

その時間は辛いと思います

だからこそそんな時に頼れる環境が欲しいのです

誰かに話しを聞いてもらう

それは友人、家族、病院の先生

そういった周りのサポートが必要不可欠となるでしょう

受容の時間は大事です

その時間があれば自己肯定感も上がります

他にも障害受容の話はたくさんありますが、多く語れるほどの知識もまだないため今回は今までに気づいたこと勉強したことをほんの少し載せました

また、見解が変わるかもしれませんがその時はまたここでお話しますかね

ではでは

おやすみ

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