どうも、アドラーに釘付けの、小兎です
「嫌われる勇気」を3回目読み終えた後、何気なく本の一番後ろをみると、そこにはアドラーに関する本が何冊か記載されており、その中でも「人はなぜ神経症になるのか」という題名に惹かれて、すぐに購入してしまいました
私は現在精神科で働いているものですから、そういった点でその題名に目がいったんだと思います
今日はこの「人はなぜ神経症になるのか」という本についてです
精神科や医療従事者でない方でも楽しめる本になっていると思います
事例を中心に、アドラーのところに診察にきた人を題材としており、とてもわかりやすくなっています
そして、精神病等に興味のない方でも、兄弟間での出生順での特性
つまり長男や末っ子、姉か妹かでどのような性格になるか
また父親、母親に対する思いから派生する性格や症状等も描かれており、かなり興味深い内容になっています
さらに寝ている時の姿勢で、どのような性格かがわかるといった章もあります
全体的な内容を先にお話すると、ここに書かているのは、優越性、共同体感覚、目的論の3つの観点での話だと私は理解しています
つまり、どのような症状で周りの人を支配するか(優越性)
それは過去の経験(原因)からではなく、誰かを支配するために過去の経験を使用している(目的論)
そしてそれは、所属感、自尊心の欠如(共同体感覚の欠如)へと繋がるとアドラーは言います
その、共同体感覚を身につける勇気こそが神経症の人には足りていないというのです
つまり、これは勇気づけの話になります
あ
また、原因論を解くフロイトなどを否定しているとことも読み応えのある一つかもしれません
目次
- 有用でない優越性の目標
- 人生の諸課題に対処できないこと
- 共同体感覚の欠如と男性的講義
- 愛と結婚の諸問題
- 神経症的ライフスタイルと心理療法
- 感情の神経症的利用
- 家族布置
- 早期回想
- 続・有用でない優越性の目標
- 職業の選択と眠る時の姿勢
- 臓器言語と夢
目次からも、とても興味の惹かれる内容だと思います
優越性って、とても良い言葉のように聞こえますが、それが有用でないってどういうこと?
愛と結婚ってなにか神経症に関係があるの?
などなど
目次の言葉だけでも、気になるところが多いですよね
有用でない優越性は防衛機制
アドラーの言う有用でない優越性というのは
例えば、頭が痛いだとか、飲酒、赤面症、恐怖症、性同一性、などなど
そういったもので、皆の注目を集め、誰かを操作するようなやり方のことを指しています
つまりはこれは防衛機制のようなものと私は捉えています
防衛機制を例えてみると、弟が生まれた男の子が親の注目を引くために赤ちゃんのような態度をとってみたり
大事な大会でスタメンになれなかった人が膝の痛みを訴え、膝が悪いからスタメンになれなかったんだと言ってみたり
つまり、自分の現状を認められずに、違ったやり方で自分を肯定するように見せ、優越感を味わうといった方法ですね
ちなみに防衛機制はマイナスな面ばかりではありません
作業療法などの効果は防衛機制を活用した治療方法もあります
これを話していると長くなるので、これはまた別の機会ということで
話を戻します
アドラーは患者にいつも、こう聞くそうです
「私があなたを治したら何をしたいか」
患者は言います「もしも赤面症でなければ、あの女の子に告白する」
このパターンは赤面症であるから告白はできない立場にいるといった、告白する勇気をもてないことを赤面症といった病気をもつことで肯定するのです
この人は実際に女の子の前に出ると顔は赤くなります
実際に体に影響を及ぼすのが、神経症です
これがなぜかと言うと、赤面症であることがその人にとって都合がよいからです
つまり、赤面症であることがその人にとって健全であり、当たり前になるとその人自身が楽なのです
しかし、アドラーはこういます
神経症の人は「もしも〜ならば」と必ず言う
ちょっと厳しいかもしれませんが、実際こういった事例がたくさん本には書かれています
愛を放棄するために男のようにふるまう女性や、幸せなを恐れる人が幸福な時間を感じたら体調を悪くしたり、モルヒネに依存することでしか自分を肯定できない人など
そういった人たちがどのような過去を持ち、どうのような原因論によるものだと主張するのか
そういった部分のアドラーの見解も魅力的です
目的論
本に書かれている事例では、自身の過去において経験した事柄を紐解いていくことをしています
親からの愛情を受けていなかったり、兄弟間での役割の差による逃避であったり、そういった人たちが過去の経験から自分を守ろうと、正当化しようとする姿が描かれています
ただ、ここに着目してしまうとそれこそ原因論になります
アドラーはこういった原因があるから今の自分があるという考え方、つまりは歪んだ先入観を取り払うために過去の見解をするのだと思います
そして、その見解をもとに、その人がどのような目的があって過去の話を引き出してくるのか、またその人が言う原因からどのような勇気づけが足りていないのかということを見出します
ここでいう目的は、相手を支配しようとすることです
兄なった男の子の例を出すと、弟が生まれたことで親が自分にかまってくれなくなりうまく成長できなかったと主張しましょう
アドラーの思想だと結果的にそれは、親を支配するために赤ちゃん返りをした
となります
つまり親を支配する目的のために、赤ちゃん返りを使った
そして、成長しきらない方がずっと親が面倒をみてくれるという自分にとって都合の良い状態から抜け出せなくて、「成長できない」となるわけです
アドラーが言うには、神経症の方の中には「攻撃するために相手の弱点を見出すのが巧みな人がいて、そういう人は、戦う前に他の人が不利になるような状況を準備するような偉大な戦略家がいる」
なかなか厳しい言葉のような気がしますよね
だって、相手は神経症といった病気の方ですよ
戦略家なんて、その人が神経症という疾患を武器に相手を懲らしめようとしているように聞こえますよね
しかし、極端に言うとほとんどそういった内容です
反アドラーがいてもおかしくないですよね
自分は誰かの役に立っているという欠如
結局は共同体感覚の欠如なんですよ
自分を愛せない、自分は人のために役に立たない人間だ、自分には価値がない
そういった欠如を補うために、疾患や症状によって誰かを支配し、優越感を得ようとするんですね
しかし、これは承認欲求が必要というわけではありません
むしろ、疾患や症状によって周りを巻き込み、それこそがその人にとっての承認欲求となってしまうのです
家族が心配する、親が面倒をみてくれる、女なのに男らしく振舞うことの方がみんなから注目をされる
そういったことが承認されてしまうから、そこから抜け出せなくなってしますのです
そうではなく、アドラーの言葉では承認欲求は不要ということです
承認欲求を求めることは相手の人生を生きるということになります
「嫌われる勇気」でもでてきましたね
そう、つまりは生きているだけで誰かの役にたっているとか、自分の人生を自由に生きるとか、自分と相手の課題を分けて考えるとか、そして嫌われる勇気をもつとか
そういったことで自分がこの世に所属している、存在している価値という自信に繋がってくるというわけなんですね
人は誰も嫌われたくないから、誰かにしたがったり、認めれたいから頑張ったりしますよね
そういったことが自分自身の自由を奪ってしまうのです
神経症の人たちも自分を守るために必死です
ですが、そのことによって起きた症状が自由を奪っているのです
だから、アドラーの心理学を踏まえ、自由になるために相手の課題を生きないようする勇気が必要なのです
まとめ
本の内容というよりかは、アドラー心理学を説明したような気もしますが
まとめると、
- 神経症の人は誰かの上に立つ為に有用でない方法で、相手を支配している
- そして、その方法を過去の自分から奮い起こし、あたかもそれが原因であるかのように振舞う
- しかし、その人たちに足りていないものは自分の自由を生きるという勇気が足りていないといことであり、決して過去の出来事が原因ではない
そんな感じでしょうか
「人はなぜ神経症になるのか」にはそういった人たちの具体的な出来事や、発言、行動、症状が詳しく描かれています
そして、神経症に対する見解をアドラーが語っています
そういった、神経症を読み解くといった本でありがながら、アドラー心理学をしることのできる本にもなっています
あ
アドラー心理学を理解するのには長い年月が必要だそうです
なので、今回の私の記事が全然デタラメなことを言っているかもしれません
しかし、この本の魅力はそういった難しいところにもあります
実際にアドラーが診察した話、見解が頭をひねります
どういうこと?って考えながら読むのも一つかもしれません
あ
アドラーに興味がある人はぜひぜひ
ではでは
おやすみ
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