良い事言われても、反発してしまうことが癖になりつつある小兎です
長い間人間やってると、悲しい事や苦しい事、乗り越えなければいけない壁が本当にしんどい時ってありますよね
周りの人は心配してくれて、励ましてくれるんだけど
それでもしっくりこない時って実はあったりしますよね
要は気持ちであり、言葉ではないのはわかるんだけど、一番どん底にいる時ってそこまで考えられる余裕とかないのが現実だと思います
そして、私なんかは超ひねくれてて、神経質なので
「その言葉、あんまり心に響かねーな」なんて思ってしまうことあるんですよね
「他の言葉ないのかよ」なんて思ったりもします
あ
ほんとクソですよね、自分でもわかっています
でも、そんな意外と響かない言葉を集めてみました
命まで取られるわけじゃないから
今から、とてつもなく怖いお宅に仕事上のミスで謝罪にいかなければならない時に上司から言われた一言です
上司「今からあの家にいくのか?」
私「はい、しんどいです」
上司「そうだな、でもな命まで取られるわけじゃないから」
あk
命取られた事ないから、命とられる気持ちわかねーよ!
例え悪すぎ!はじめからこっちだって命かけにいくわけじゃねーよ!天秤にかける物事間違ってるやろ!
「そうか、命までとられるわけじゃないから、気が楽になった」
なんて、なんねーよ
あ
その時の私にとっては一番の悩み事で、できれば謝罪に行きたくなんかないし、吐き気がするくらいしんどいのに、命の話されても入んないっすよ
てか、お前が一緒にきて謝ってくれよっって感じでしたね
この「命まで取られるわけじゃないから」は他人事の時に使う言葉だと、その時私は思いました
もっと「つらいな、俺も一緒に行こうか?なんかできることあれば言ってよ」くらい言えよ
あなたらしく
これは誰に言われたとかではないですが、よく聞きますよね
人生の疲れた時、社会に疲れた時、自分の行為が無駄になったり逆に悪い方向にいってしまった時
「大丈夫、あなたらしく生きればいい」とか「〇〇さんらしさを出していったらいいよ」なんてよく耳にしませんか?
これもなんかひっかかるんですよね
あ
そもそも自分らしさってなに?
それがわからないから、悩んでるんでしょ?
わかってたら、「これが俺だから、結果がどうあれこれでいいんだ!」ってなりますよ
教えてよ自分らしさ
もっと言えば、悩んでる状態もその人らしさではないですか?
それがその人の感情なんだから
それなのに、「自分らしく」って今の自分否定されてるんですけど
らしさ、らしさって本当難しいですよ
それで片付けるのって無責任ちゃいます?
それだったら「次頑張ろう」とか「いい方法一緒に探そ」とか、かける言葉っていっぱいある中で「あなたらしくね」なんて・・・・・
あ、そうか
この人、私のことどうでもいいんだ
ってちょっと思う
あ
ひねくれ全開ですよね
「わかりません」も正解
これは、いわゆる「わからない」ということでも自分の意見だとし、その人を肯定する言葉として「わかりませんも正解です」というわけですね
私が作業療法の養成校に行っていた頃によく先生が言っていました
例えば、ちゃんとした答えがあるような1+1=2みたいな答えではなくて、オープンクエッションのような問いの時に使われていましたね
「こういった場合、セラピストとして、あなたならどうする」みたいな10人いれば10通りの答えがでるような問いです
そして、なかなか答えにたどり着かない生徒に「わからないでもいいですよ、それも一つの正解だから」と言う
わからなくてもいいけど、正解ではないと思う
というのが私の考えです
それを肯定してしまえば、その生徒は今後臨床(社会)に出た時、決断や自分自身で答えを出して仕事を行なっていくとき「わからない」で放棄しかねないと思うんです
確かに「わからないも正解」はTPOがあると思います
うつの方のような、思考が弱っていて、自分を表現できず、話すこともしない人が「わかりません」の一言いうと、それは自分の意思を述べたことによる一歩前進なので「正解」なのかもしれない
しかし、すべての人でこれを全部正解として捉えるのは違うような気がするなー
特に勉強していて、「わかりませんも正解」となると、そこで考える力は終わります
試験で「わかりません」は不正解ですもん
それなら「今はわからないでいいけど、また次いつかあてるから、その時に答えられるようになっていたらいいよね」とかで良くないですか?
そういう先生もいましたけどね
「わかりません」を肯定すると、後に答える人も「わかりません」と答える確率が増えます
だって、間違えて恥かきたくないから
そもそも、答えにくい問題をみんなの前で答えさせることがいけないんじゃないか
恥かかせようと先生たちは面白がって、自分たちを優位に立ちたいんじゃないか
とまで、思っていた私でした
あなたのことなんて誰も見ていない
これはアドラー心理学でも、出てきましたね
いつも身だしなみに気を使っている人が、それにばっかり気をとられて他のことが手につかない
そんな時、その人の祖母が「あんたのことを見ている人はあなただけ」
そう言われてその人は気が楽になったそうです
確かに誰かに見られていると思うと緊張して、本来の力が発揮できなかったり、見た目にこだわったりと、いろんなところに気を回さないといけなく、しんどい時もありますし
誰も自分のことを見ていないと思うとリラックスできる場面もありますよね
しかし、他人はあなたを見てますよ
存在しているんだから
私たちだって、通り過ぎる人だって見るし、好きな人がいれば見るでしょ
全員が見てはいないが、あなたを見ている人もいますよ
しかも「あなたのことを見ているのはあなただけ」っておばあちゃんに言われても
「そんなことない!〇〇くんと△△さんは俺のこと見てるもん」ってなって終わりですよ
それなら「見られても恥ずかしくない程度でいいし、カッコつけなくても十分あなたはかっこいいよ!」って言ってくれ!
それこそ、着飾らない姿の自分を褒めてくれたほうが効果的ですよね
ひねくれ大臣
はい、ひねくてますよ
なにか
でもね
上記と同じ言葉でも自分のことを本当に思ってくれている人の言葉ちゃんと響くんですよ
結局はその言葉を言った相手の声のトーンとか表情、関係性、また仕草や目線なんかでどれくらいその言葉に重みがあるかわかるってことですよ
ひねくれ大臣の私だって、それくらい伝わるし、感じたらしっかりと受けとめますよ
要は相手のことをどれだけ思って発した言葉かってこと
それが一番言いたい!
愛のない励ましなんていらねーよ!
ってことです
あ
というわけで、どうだったでしょう
ひねくれ記事
思いついたらまた書きたいな
あ
ではでは
おやすみ
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